津軽と青森

津軽と南部

津軽三味線や演歌の舞台、太宰治なんかで耳にする「津軽」。
津軽っていったいどこだ?
青森県全部が津軽じゃないの?
白神山地は?八甲田山は?お岩木山は?・・・みんな山だな。

全国的に、青森県は津軽と南部だと思われているようだ。
青森県の中央には縦(南北)に奥羽山脈が走り、真ん中あたりに、有名な八甲田山がある。
そこを境に、東側が南部で、西側が津軽という認識。

歴史的に見てみよう。
戦国時代。青森県全域は南部氏によって治められていた。
1590年に、南部氏の家臣だった大浦為信が、豊臣秀吉から津軽地方の領主と認められ、津軽為信と名乗るようになった。津軽vs南部スタート!

江戸時代には、弘前藩、南部藩、弘前藩から分かれた黒石藩、南部藩から分かれた八戸藩となる。1817年に南部藩は盛岡藩に名称を変更。
明治に入り、戊辰戦争で領地を没収された会津藩が、下北に斗南藩を作った。七戸藩もできた。
廃藩置県によって、それらの藩が集められ、青森県となった。
野辺地町は藩境塚があり、南部側の馬門村と、津軽側の狩場沢村には、それぞれ関所があった。
戊辰戦争で新政府側の津軽と、幕府側の南部が喧嘩した「野辺地戦争」というのがある。
両者が野辺地で激突!南部側の勝利!そんなわけで野辺地町は南部になった・・・?

青森なんだかんだ
距離感さまざま
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