縄文時代 草創期~早期 (約13000年前~6000年前)

青森県の主な遺跡

縄文時代草創期 大平山元I遺跡(外ヶ浜町)
縄文時代早期  長七谷地貝塚(八戸市)

気候

縄文時代の始まりは氷期の最中でした。
この頃はウルム氷期の最盛期が過ぎ、温暖化に向かって行きました。氷期によって海水面は低く、日本列島はユーラシア大陸と陸続きでしたが、温暖化によって海水面が上昇し、徐々に大陸から切り離されて行きました。そして津軽海峡はこの頃にできました。内陸では、タイガのような針葉樹が、徐々にブナやクリなどの落葉広葉樹に変わって行き、東日本は落葉広葉樹、西日本は照葉樹が生い茂る事になりました。

生活

旧石器時代、人々は一箇所に定住すること無く、獲物を追いかけて移動しながら生活していました。この頃になると竪穴式住居が作られ始め、一箇所に定住する人が増え、集落ができていきました。
主に食べていたのは、シカやイノシシなどの狩りの獲物や、クルミやクリ、ドングリなどの堅果類。定住することによって、集落の周りで狩りをすることになり、獲物が減っていきました。食料を安定して得るために、集落の近くに堅果類を育てていきます。
山を切り開いていくことでワラビやゼンマイ、フキ、クズ、ヤマイモ、ノビルなどの山菜を多く食べるようになりました。
また、魚や貝も食べており、貝殻を捨てる場所、貝塚が作られていきました。この頃の青森県の貝塚は八戸市と小川原湖周辺に集中して見られます。

 

無文土器(むもんどき)

外ヶ浜町の大平山元I遺跡で、16,500年前の文様のない土器のかけらが発掘され、日本最古の土器と言われています。

隆起線文土器(りゅうきせんもんどき)

縄文時代草創期。
縄文時代で最も古い形式の土器。
日本中で出土しており、最も古いものは、長崎県佐世保市にある史跡、福井洞窟遺跡から12,500年前のものが出土しています。
丸底や尖底が普通で、土器の周りに粘土紐を筋状に巻き付けて文様を施しています。

貝殻沈線文土器(かいがらちんせんもんどき)

縄文時代早期。
サルボウやアカガイなどの二枚貝を貝殻を押し当ながら引いて沈んだ線状の文様(沈線文)などを付けています。
北日本では底の尖った尖底(せんてい)土器が数多く出土しています。
①早期前半、関東地方で撚糸文(よりいともん)土器が作られます。
②その影響を受け、西日本で押型文(おしがたもん)土器が作られます。
③その押型文土器が日本海側ルートで東北地方にやってきて、日計式(ひばかりしき)押型文土器が作られます。八戸市の日計遺跡にちなみ名付けられました。
④その後、程なく、文様を施すのに貝殻が使われるようになり、貝殻沈線文土器が作られるようになりました。
⑤この沈線文様式の土器は広く影響を及ぼします。関東地方の撚糸文土器に取って変わり、東日本の沈線文土器、西日本の押型文土器と、東西を二分する文化圏となりました。

六ヶ所村表館(1)
遺跡出土レプリカ
青森県立郷土館
貝殻文土器
東通村下田代納屋遺跡出土
青森県立郷土館

 

次へ

Page Top