土偶

土偶は、沖縄を除く日本中で、18,000体に及ぶ数が出土しています。
国内最古の土偶は、草創期の物で、粥見井尻遺跡(かゆみいじりいせき、三重県松阪市)から出土しています。
また、青森県では、根井沼(1)遺跡(三沢市)で早期の物が出土しており、県内最古とされています。

草創期~早期の土偶は顔や手足の無い、シンプルな物でしたが、前期に入ると顔や手足の分かる、平面な板状土偶が現れます。
中期に入ると、三内丸山遺跡(青森市)から出土した十字形土偶の様に、板状土偶に様々な装飾が施されるようになります。また、自立する立体的な土偶も現れます。
土偶は、中期から晩期にかけて最も発達し、多彩で芸術性豊かな物が作られています。
晩期には、東北各地で遮光器土偶(しゃこうきどぐう)が作られるようになります。目の形が、エスキモーが雪の反射を抑えるために使う、遮光器に似ていることから名付けられました。

土偶が作られた理由は諸説あります。
ほどんどの土偶は、乳房や陰部を表現してあることから、女性をかたどっているとされています。
このことから、安産祈願や子孫繁栄という説。
ほとんどの土偶は、壊れた状態で発掘されているので、人為的に壊されたと考えられます。
このことから、病気や怪我をした際、身代わりとしてその部分を壊し、回復を願うという説。
信仰の対象である精霊を表し、呪術や祭祀で使うことを目的としている。そのために、生命を生み出す神秘的な存在として、女性をモデルにしているという説。

国内最古の土偶は、草創期の物で、粥見井尻遺跡(かゆみいじりいせき、三重県松阪市)から出土しています。
また、最近、相谷熊原遺跡(あいだにくまはらいせき、滋賀県東近江市)からも、同時期の物が発見されました。

板状土偶 中期
三内丸山遺跡(青森市)
青森県立郷土館
風韻堂コレクション
遮光器土偶 晩期 県重宝
八日町遺跡(三戸町)出土
青森県立郷土館 風韻堂コレクション
縄文時代晩期末~弥生時代前期
大曲遺跡(鰺ヶ沢町)
青森県立郷土館

 

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