津軽を代表する遺跡② 亀ヶ岡遺跡

つがる市木造亀ヶ岡(旧木造町)にある縄文時代晩期の遺跡。この遺跡の発見は古く、江戸時代の弘前藩の書物「永禄日記」には多くの甕(カメ)が出土するために亀ヶ岡とよばれるようになったとあります。

此所より希代之瀬戸物ほり出候所也
其形皆々甕之形ニ而御座候
大小ハ御座候ヘ共皆水ヲ入ル甕ニ而御座候
昔より多ク出候所也
昔何之訳ニ而此甕多土中ニ有之事不相知候
其名ヲ取て亀ヶ岡と申候也

縄文時代晩期の東日本は亀ヶ岡文化と言われ、北は北海道宗谷岬、南は和歌山県紀ノ川流域まで広がっています。
亀ヶ岡式土器は精製土器と粗製土器の2種類あります。
鉢、深鉢、カメなど主に調理に使われていたのが粗製土器で、全体の8割に上ります。これに対し、浅鉢、皿、ツボ、注口、香炉形など、料理の盛り付などに使われていたのが精製土器で、光沢があってきれいに磨かれている物も多いです。また、漆や赤い顔料が塗られている物もあり、これらは祭祀に使われていました。
亀ヶ岡遺跡で最も有名なのが遮光器土偶(しゃこうきどぐう)です。
明治19年に発掘され、国の重要文化財に指定されています。地元では「シャコちゃん」と呼ばれています。
JR五能線の木造駅には、この遮光器土偶の巨大なオブジェがあります。

亀ヶ岡遺跡は古くからのブランドではありますが、長い間調査が行われておらず生活の様子など謎の多い遺跡でした。しかし、2009年に縄文時代晩期の竪穴式住居跡や中期の土坑が発掘され、当時の様子が少しずつ解明されつつあります。

こぼれ話1

江戸時代、津軽藩2代目藩主、津軽信牧がこの場所に亀ヶ岡城を建築しようとした際、このあたりは湿地帯で地面がぬかるみ、ズブズブでした。そこで地面に木の板を敷き通路にして作業するようにしました。この木の通路を木造(きづくり)といい、このあたりが木造村とよばれるようになりました。しかし、この亀ヶ岡城は幕府の一国一城令にふれて建築中止となってしまいました。この時にお堀として掘られたのが現在の大溜池です。現在この場所には縄文館があり、出土した土器などが展示してあります。

こぼれ話2

亀ヶ岡遺跡の悲劇①
亀ヶ岡遺跡は江戸時代から全国的によく知られた遺跡でした。ここで発掘された土器は「亀ヶ岡もの」と呼ばれ当時のコレクターに大人気でした。そのため、無断での発掘や盗掘が横行し、かなりの数が持ち去られてしまいました。

亀ヶ岡遺跡の悲劇②
このような状況のため、考古学の資料というよりもお宝、珍品といった見方が強かったのです。
そのため、大正14年に調査が行われた、岩手県大船渡市にある大洞貝塚から出土した土器が指標になってしまい、大洞B式など、細かな分類では大洞式が使われるようになってしまいました。
北海道南部から東北地方の晩期土器の総称として、「亀ヶ岡式」は現在も広く使われています。

 

 

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