青森県の弥生文化

文化の狭間

当時の北海道と南西諸島には弥生文化はありませんでした。
なので弥生時代とはいわずに、北海道は『続縄文時代』、南西諸島では『貝塚時代』と呼びます。

青森県は南からは本州の弥生文化が、北からは北海道の続縄文文化がやってきてそれらが交じり合う地域でした。
アジアとヨーロッパの間のトルコみたいですね。
青森県の弥生時代を考える上で北海道の続縄文文化は大事なポイントです。

青森県の弥生文化

青森県では弥生時代の早いうちから稲作が行われていました。
弘前市の砂沢遺跡や田舎館村の垂柳遺跡から水田の跡が見つかっています。

青森県内の遺跡からは太型蛤刃石斧(ふとがたはまぐりばせきふ)、多頭石斧(たとうせきふ)、石鍬(いしぐわ)、管玉(くだたま)、鉄器(てっき)などが見つかっていて、稲作などの弥生文化と一緒に新しい道具も伝わっていたようです。

西日本とは違う?

大陸系の磨製石器のうち、扁平片刃石斧(へんぺいかたばせきふ)、柱状片刃石斧(ちゅうじょうかたばせきふ)、石包丁(いしぼうちょう)は見つかっていません。

また、西日本では割とポピュラーな銅鐸(どうたく)や銅剣(どうけん)などの青銅器も見つかっていません。

社会の中に階級があったことがわかるような証拠も見つかっていません。
どうも東北北部の弥生文化は西日本のそれとは違うようなんです。

環境の変化

中期後葉になると遺跡の数が激減してしまいます。
この時期は古墳寒冷期と言われることがあり、日本全体が寒冷化してしまった時期なのです。
その影響で人口が減ってしまった可能性があります。

弥生時代概要
弥生時代の生活
金印・邪馬台国
青森県の弥生文化
弥生時代の青森県民
砂沢遺跡
垂柳遺跡
吉野ヶ里遺跡
板付遺跡

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