弥生時代の生活

稲作のはじまり

稲作が伝わると本格的に農業が始まりました。
それまでの狩猟や採集では、とれない時は何も食べられなかったのが、農作業をすることで食べ物を安定して得られるようになったのです。

農作業の道具には木で作った鋤(すき)や鍬(くわ)、稲を刈取るのに石の包丁が使われていますが、時代が進むと鉄製の道具が使われるようになります。
さらにさらに時代が進むとトラクターやコンバインが使われるになります・・・

収穫した食糧は冷蔵・冷凍のできない高床倉庫や貯蔵穴に貯めておきます。
住んでいる家は縄文時代と同じ竪穴住居です。
ツーバイフォー住宅は約2千年後に現れます。

高床倉庫 竪穴住居 高床住居

争いが起き、クニができていく

食料を貯めるようになると、次第にそれを狙って争いが起きるようになりました。縄文時代には無かったことです。
腹がへっては戦はできんといいますが、腹がへるから戦は起こるのですね。

そのため襲うほうも守るほうも必死です。
石や青銅、鉄を使って武器を作るようになります。
残念ながら鉄砲はまだありません。
1543年にポルトガル人がキリスト教と一緒に種子島に持ってきます。
今はまさにキリストが生まれた頃。
ちなみに釈迦はもうちょっと前の紀元前7~5世紀頃。
ちなみにムハンマドは6~7世紀。

そして集落では敵が攻めてくるのを防ぐために濠(ほり)や土塁(どるい)が作られるようになりました。
「環濠集落(かんごうしゅうらく)」といいます。
濠を環状にめぐらせている集落ということですね。
佐賀県の吉野ヶ里遺跡や福岡市の板付遺跡などで見られます。

次第に強い集落できてまわりの集落を吸収・合併していきます。
そして大きくなった集落は「クニ」となっていくのです。
代表的なクニは邪馬台国ですね。

このページの写真は吉野ヶ里遺跡です。

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