ねぶたとねぷた何が違う?

ねぶたとねぷた何が違う?

ねぶた祭りは地域の祭りです。 青森市の「ねぶた」、弘前市の「ねぷた」、五所川原市の「立佞武多」が有名ですが、そこだけで行われているわけではありません。 津軽地方や下北地方の各自治体、また能代市など秋田県の一部でも行われています。

青森市の「ねぶた」

ねぶた(nebuta)とねぷた(neputa)は何が違うのか。青森市は「ねぶた(nebuta)」 弘前市は「ねぷた(neputa)」 五所川原市は「立佞武多(tachineputa)」発音は「ぷ(pu)」です。

ねぶたの語源は「ねむい」「ねむたい」が訛った「ねぶ(bu)て」や「ねぷ(pu)て」からきています。なので、その人の訛りによってねぶた(nebuta)だったり、ねぷた(neputa)だったり。昔はどこの地域でも大して気にせずに両方使っていました。 そもそも津軽弁を50音で表記しようというのが混乱の元です(笑)。伊奈かっぺいさんは「標準語にて表記不可能」と言っていますね。

弘前市の「ねぷた」

昔はどうだったかというと、1954年(昭和29年)の弘前市のポスターには「弘前ねぶた(nebuta)」、1957年(昭和32年)の青森市のポスターは「青森ねぷた(neputa)」と書かれています。そんなごちゃ混ぜの状態だったのが、弘前市は1957年(昭和32年)から「ねぷた(neputa)」に、青森市は1958年(昭和33年)から「ねぶた(nebuta)」に統一しました。 これは一説には、本社が青森市にある新聞社「東奥日報」が「ねぶた(nebuta)」、本社が弘前市にある新聞社「陸奥新報」が「ねぷた(neputa)」に使い分けたからと言われていますが、はてさて真偽のほどはいかがでしょうか。

決定的になったのは、昭和55年(1980年)の国の重要無形民俗文化財に指定されたことでした。正式に登録されることになったので、それまでのようにどっちでもいいという訳にはいきません。そこで青森市は「ねぶた(nebuta)」に、弘前市は「ねぷた(neputa)」として登録されたのです。 他の市町村ではねぶた(nebuta)だったり、ねぷた(neputa)だったり様々です。 おおざっぱに分けると、弘前市に近い中津軽郡や南津軽郡はねぷた(neputa)で、他がねぶた(nebuta)というところが多いようです。

五所川原市の「立佞武多」