青森ねぶた祭りアレコレ

青森ねぶた祭りアレコレ

青森ねぶた祭の特徴

青森ねぶた祭は東北三大祭りの一つとして数えられており、祭り期間中の入場者数は300万人を越える青森の夏のビッグイベント。正装をすれば誰でも参加できるため日本中からねぶた好きが集まります。そのためねぶた期間中はフェリーターミナルの近くに無料のサマーキャンプ場が設けられ、ねぶた正装をした人達がバイクや自転車で会場へ向かう様子は見ていておもしろい。

元々、ねぶた・ねぷたは町内会単位でやるような地域のお祭りですが、青森市では独自の進化を遂げてきました。青森ねぶた祭りで見られる人形燈籠は「大型ねぶた」で、青森市は他の市町村よりも道路が広いため、ねぶたは大型化していきました。企業がスポンサーになり、観光化され、都市の祭りへと様相は変化しました。

県内各地でねぶた・ねぷたが行われていますが、団体に所属しなくても誰でも気軽に参加できるのは青森ねぶた祭だけです。青森市内でも高田地区や浅虫などでは地域の祭りとしてねぶた祭りを行っています。

2022年は新型コロナウイルスのためハネト参加には事前登録が必要。またサマーキャンプ場は開設されませんでした。

大型ねぶた

日程

8月2日~8月7日 曜日に関わらず毎年同日開催。

青森ねぶた祭りの主催者

青森ねぶた祭りの主催者は誰なのか、意外に知られていません。「青森ねぶた祭実行委員会」と言い、各種団体から代表者が集まって委員会を構成しています。

リンク:メンバーは青森ねぶた祭り公式ページで見られます(別ページでPDFが開きます。)

ねぶた祭りの運行

  • 8月2日~3日:子どもねぶたと大型ねぶた合同運行
  • 8月4日~6日:大型ねぶた合同運行
  • 8月7日(昼):子どもねぶたと大型ねぶた合同運行
  • 8月7日(夜):花火大会と海上運行

ねぶた祭りの並び順

先頭から、運行責任者や団体役員、高張(たかはり)提灯、跳人(はねと)、ねぶた、囃子の順番。ねぶたを曳くのは「曳き手」。扇子持ちの号令で4トンの大型ねぶたを自由自在に操り、沿道の観客を楽しませるのも見どころの一つです。

大型ねぶたと主導する扇子持ち

跳人は身体に鈴をつけていて跳ねるとシャンシャンと音がする。落ちた鈴を拾うとラッキー!花笠をつけるのが正装です。仮装して観客を楽しませる化人(ばけと)は津軽の「もつけ(お調子者)」だ。

化人

運行コース

ラッセランドからスタートし、市内を1周してまたラッセランドに戻るコースです。

2022年はコロナ対策のため、それぞれのスタート地点から始めて決められたコースをグルグル回る「一斉スタート方式」ではなく、順番に出ていく「吹き流し方式」です。

リンク:詳しい地図は青森ねぶた祭り公式ページご覧ください(別ページで開きます)

掛け声

ラッセラー・ラッセラー・ラッセ・ラッセ・ラッセラー

囃子

囃子に使われる楽器は笛、太鼓、手振り鉦(ジャガリキ)。

お囃子は、かつては「集合」「小屋出し」「出発準備」「進行」「大休止」「小休止」「戻り」「小屋入れ」と多種あったが、今は「進行」と「戻り」の2種類のみとなっています。

囃子方

青森ねぶた祭の大太鼓

青森ねぶた祭の大太鼓と言えば藤本建設株式会社が所有する「出世大太鼓」。直径3.1m、全長3.7m、重さは約2トンあります。1972年から毎年8月4日、5日の2日間の日程で参加しています。

リンク:出世大太鼓の詳しい情報につきましては藤本建設株式会社のwebサイトをご覧ください(別ページで開きます) 

出世大太鼓(2022年)

以前は日立連合ねぶた委員会の凱旋太鼓もありましたが、躯体の老朽化のため2015年で終了となりました。

凱旋太鼓(2010年)

なぬか日

なぬか日は午前中からねぶた運行が始まります。そして夜は花火大会と海上運行が行われます。海上運行に参加するのは大賞や知事賞などの賞をもらった6台のねぶたです。

ねぶた大賞

青森ねぶた祭では運行する大型ねぶたや、運行団体を採点し、賞を与えています。

審査するのは青森ねぶた祭実行委員会の中の審査委員会で、2日から5日まで毎日採点し順位をつけています。最も優れた賞は「ねぶた大賞」で、1994年(平成6年)までは坂上田村麻呂賞という名称でした。ねぶた祭りの起源が坂上田村麻呂にあると言われていたことに由来しています。

  1. ねぶた大賞
  2. 知事賞
  3. 市長賞
  4. 商工会議所会頭賞
  5. 観光コンベンション協会会長賞

運行や囃子が優れた団体の贈られる賞

  • 運行・跳人賞
  • 囃子賞

制作者に贈られる賞

  • 最優秀制作者賞
  • 優秀制作者賞
なぬか日の昼運行。ねぶた大賞と運行・跳人賞を掲げている

ねぶたラッセランド

春になると青い森公園の中にねぶた小屋(通称:ねぶたラッセランド)が建てられ、その中では日々ねぶたの制作が進められます。7月になるとボランティアによるガイドも行われ、ラッセランドは祭りへ向けて熱を帯びていきます。ねぶた祭り当日はラッセランドから出発し、市内を1周して戻ってきます。

なお、「ねぶたラッセランド」と「ねぶたの家 ワ・ラッセ」は名称も似ているし、場所も近くにありますが、違う施設なのでご注意ください。「ねぶたラッセランド」はねぶたの制作所で、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」はねぶたを体験できる観光施設です。

ねぶたが帰ってきたラッセランド

青森ねぷた祭りの歴史

1842年(天保13年)

1842年(天保13年)に書かれた「柿崎日記」が、青森ねぶた祭りの最も古い記録で、「七月ねぶた無し、当年七夕祭りは子供ばかりにて、町内よりねぶた一切不出」という記述があります。享保年間(1716年~1736年)に油川で行われたという解説がありますが、出自は不明なので裏付けがありません。

1873年(明治6年)~1882年(明治15年)

ねぶたは野蛮な悪習とみなされ「ねぶた禁止令」が発出。その後10年間ねぶたは行われませんでした。

ちなみに・・・

この禁止令を出した菱田重禧氏(ひしだしげよし)は幕末の大垣藩士。廃藩置県後の第1次福島県知事(権知事)を務めた後、2代目の県知事(県権令)として赴任。初代県知事の野田豁通(のだひろみち)氏や弘前士族と対立し、県政を滞らせたとして、知事をクビになりました。

1937年(昭和12年)~1945年(昭和20年)

日中戦争が勃発し日本は戦争に向かっていきます。たった1回を除いて、太平洋戦争終戦までねぶたは行われませんでした。

1944年(昭和19年)

終戦の前年。サイパンやグアムで日本軍が全滅したこの年だけは、戦意高揚のためにねぶたが開催されました。

ちなみに・・・

同年7月20日、政府は本土での決戦に備えて八戸市に陣地を作るように命じています。青森県が決戦の舞台になる可能性があったが故の開催だったのかもしれません。

1945年(昭和20年)

7月28日深夜に青森大空襲がありました。

9月2日、ポツダム宣言を受託し終戦。

1946年(昭和21年)

戦火を逃れた旭町と油川でねぶた祭りが行われました。

1947年(昭和22年)

8月20〜22日(旧暦7月5日~7月7日)。市と海運局の主催で「戦災復興港祭り」が行われ、初めて海上運行が行われました。

1948年(昭和23年)~1957年(昭和32年)

「青森ねぶた祭」ではなく「青森港祭り」という名称で祭りが行われていました。多くのイベントがあり、ねぶたはその中の一つとして行われていました。

ちなみに・・・

ねぶた祭りは旧暦7月7日の七夕祭りの一行事。「青森港祭り」も当初、旧暦7月3日〜7日に行われていたが、

  • 1953年(昭和28年)は新暦8月3日〜7日
  • 1954年(昭和29年)は旧暦7月3日〜7日
  • 1955年(昭和30年)は新暦8月3日〜7日

と紆余曲折を経て現在の日程に定着していきました。

1958(昭和33年)

「青森港祭り」は「青森ねぶた祭り」と名称を変え、ねぶた祭がメインのお祭りへと変わっていきます。

2020(令和2年)~2021年(令和3年)

新型コロナウイルスが蔓延し戦後初の中止となる。

写真はイメージです笑笑