伊藤 圭
1978年生。青森県五所川原市金木町出身。18歳まで青森県で過ごして上京。
日本写真芸術専門学校を卒業後、国際協力NGO ワールドビジョンジャパンで事務職(写真関係ない!)、プロラボでフィルム現像(朝から夜まで暗室(泣)、株式会社朝日新聞出版で契約カメラマン(週刊朝日とか)を経て2008年にフリーランスになる。
ちょうどその頃、母親にガンが見つかり看護のため青森県と東京を行き来するようになる。闘病中の母の気分転換に県内の名所や民俗行事(八甲田の紅葉や裸参りなど)を訪れ写真を撮っていった。その状況は2011年まで続き、その後は青森を撮ることはなく、撮った写真も公表していなかった。
2017年からは国際協力NGO、日本国際ボランティアセンター(JVC)に寄り道し、国際協力カレンダーの制作販売を行っていた。世界の貧困や人権問題に携わりつつも意識は青森県に向き2021年に退職。
再び青森県の写真を撮り始め、現在は十和田湖・奥入瀬渓流の四季(なんぼきれいだ!)や、合併前の67市町村の桜(数年かけて全部撮る!)、ねぶた・ねぷた・立佞武多などを撮っている。
青森県は不思議な地だ。他県にはない何か不思議な空気感がある。表現が難しいのだけれども、こんな感じ。
- 土地の持つ力が強い
- 空気の密度が濃い
- 霊的な力が強い
- 県全体がパワースポット
「何か」が東京あたりと比べて濃い。関東出身の妻は青森県に行くと空気が重くて疲れるという。
その「何か」は青森県という土地が生み出すものなのか、そこに住む人々の営みが作り出すものなのかはわからない。しかしながら「何か」は確かにあり、見えないけれども感じる。その「何か」が青森県民のアイデンティティを作り出し、ねぶたや津軽三味線のような力強い文化を育んでいるのではと思う。
青森県の気候や風土、またそこに住む人々が作り出す文化や歴史は、他県にはない独特さがあり、私を魅了してやまない。もしかしたら私はその見えない「何か」を捉えようとして写真を撮っているのかもしれない。
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